時が経つのが早いのは

気がつくともう約束の日だ、でも前よりも緊張せず、焦ることもなくこなすことができた。先週から続くかんかん照りの中、シャッフルで流れたビートルズのヒアカムズザサンを聴きながら駐車場まで歩く。履き慣れた靴、これは生まれてから何足目の靴だろう。汚くなったからそろそろ新しいのを買いたいけど、デザインも好きだし履きやすかったしまたこれと同じものもいいかもなぁ。反対側を歩く女の子は知り合いだったかもしれない。そんなことを考えながら駐車場に到着して、車に乗り込む。車に乗り込む頃にはシャッフルして4曲目の清竜人のMr.PLAY BOY♡が流れ出し、可愛い女の子に助平と罵られた。

 

物事はベルトコンベアのように流れていく。なるほど先人たちが人生を流れ作業だと称えているのも納得だ、歳を重ねると色々なことを経験して、溢れる欲望に身を任せて、いろんなことをやりたくなって、達成して、大体距離感掴めてきて、宇宙の果てを見てもないのに知った気になって、大体諦めがつく。

 

時が経つのが早いのは、知識が頭を埋め尽くして想像する余地がなくなったからだろう。

 

飽きてしまったのだろうか?いや違う。むしろ求めている。

 

備え付けの欲望は無理矢理にでも人間を動かそうとする。でも、経験はすぐ結論を導き出したがるから新しい発見と欲望のバランスが崩れてくる。

 

それでも生きていかなければならない。あれはもう見た、これももう見た、とおもちゃ箱をひっくり返すように1日を投げ捨てていく。これがだんだんスピードを増してきているから時が経つのが早く感じるのかもしれない。

 

多分活動量が多い人間ほど1日は早く感じている。そういう人ほど実際は満たされていない。