下にネタがあります
偉大なアーティストはもちろんだけど、知る人ぞ知るでも、ど素人でも、なんなら初めて人前で歌った人でも誰でも構わないから、その時の最大瞬間エモが大きかった奴が勝ちだと思ってるし、そのためには過程も大切だから客観的にはなれないよなぁなんて思って、っていう書き出し微妙だから話が続かないね、終了。
最近心をさらけ出せるようになったのかもしれないという瞬間がある。完全じゃないけど、継続的にやっていればもっと接しやすい人間になれそうな気がする。無理しているわけじゃないんだけどゆるく変わっていってる気がする。
コロンブス曰く、この世の9割は下ネタで出来ているらしい。
世の中は下ネタを話せるか、話せないかで二極化している。この世界に1と0の間は存在しなかった。藤原基央理論は覆され、神はコンピュータ制御で我々の御心のままだ(は?)
飲みの席で強いのは圧倒的に言える方だ。いや、飲みの席だけではない。コミュニケーション全般で言える奴と言えない奴とで線引きをされる。イブン・バットゥータ曰く、面白い奴はもれなく下ネタも言えるやつがほとんどである。長友が海外で活躍できるのも、下ネタのおかげだった。
下ネタはポケモンで言うところのハイパーボールで、それを持っている奴は割と不自由なく人の心をゲットだぜできるかもしれないが、言えない奴はせいぜいスーパーボール、いや、サファリボールで臨まなければならない。下ネタはアドバンテージだ。しかもレッテルを貼られたら最後、こちらに話題は届くことはない。
何が言いたいかっていうと
上司下ネタ好きすぎ〜
歌詞
世界は二つあっていい
手も足も届かなくていい
それすら気にならない
愛とはどういう価値を持ってる?
人それぞれ
部屋に入らないほど
切なくなる約束
窓を出たり入ったり
不安とは
こういう
ことを言ってる
視界暗い
会いたい
街の中に溶け込むような気持ちで
細めた目が大空を飛ぶ鳩を睨みつける
非常事態宣言
僕らは窓の向こう
空なんて大それたものは見ちゃいない
定期的に見えるものが違って見えたらいいのに
この町は何にも代わりはしないよ
変わらなすぎて、自分の顔だけが変わって見えるモンだから、心だけは動かないで重力だけが強く感じてしまう
止めどなくポツポツと水滴を落とす水道の蛇口も
あと少しのところで手が届きそうなのに
ちっとも力が入らない
死が人を生かすなんて誰が思い付いたのだろうか
死の淵に立ったものとしては甚だ遺憾である
もしそれが仮にそうだったとしても
まだかき混ぜていないミルクコーヒーのように
複雑に絡み合ったまま解けることのない青空に目もくれず、のうのうと歩くような真似はしないだろう
互い違いになっているブラウスのボタンを直そう
近所の友達の家に押しかけて、老いぼれた猫に一瞥くれて、もう見ることのなくなった本棚に別れを言おう。
頸動脈の血が少しごろつく
手足に信号が流れるのがわかる
このタイミングで町の中に溶け込めたら、静かで一番良いだろうななんて思っている。
僕が大人になる理由
曲を作った
曲だけでいろんな感情にさせることができるのが1番だと思っているけど、そもそもこれを観ている人が殆どいない、というか皆無だと思うので特別にここだけで。映画とかにもガイドブックとかあるでしょ?裏設定とかさ
僕が大人になる理由と君が子供になりたい訳
というタイトル。そしてサビの一節。他の人はわからないけど自分は歌詞とかメロディーはいっぺんにポンってでてくることが多い。いつもギターをいじって時間をかけて考えているけど結局しっくりくるのはポンって出てきたものだったりする。でも多分じっくり考えた時間も無駄じゃなかったわけで、そこらへんは変に驕ったりはしないほうがいいのではないかと思っている。
だいたいなにかを表現するときって自分が今立たされている状況、趣味、機嫌、感覚、とかそんなのがモロに影響していくのは間違いないことだと思う。というかそうじゃなきゃおかしい。
カレーが美味しかったらカレー、棒棒鶏が美味しかったら棒棒鶏。MCもそんな感じ。
自分はそういうのが頭と心の中で混ざり合った末に無意識的に出てくると思っている。
いつも感じている環境と心と体のズレに対しては永遠のテーマな感じで、それにプラスで外的要因としてその時丁度先輩と同期が組んでた大好きなバンドが活休だなんだのといざこざっとしてたのを観ていたり、彼氏彼女のことだったり、将来のことだったり色々なことが重なっていて、そういうのがあって出てきたのがこの一節。
そこから歌詞について、語呂と具体性と抽象性のバランスで考えていった。
嘘。
これも口から出てきたやつを拾ってく方が多い。今回は高校の時に作った曲にスポットライトスコールっていう曲から色々取ったりもした。高校生の自分にとってスポットライトは憧れで、割れんばかりの拍手みたいなのが一点に集まる場所に感じたんだと思う。最後の方の語りに関しては完全にその時聴いてた曲の影響である。
そしてメロディー、これに関してはあんま考えてない。その時のハッとした感じを大切にしている。
そしてアレンジ、わたしはアレンジの能力が皆無だ。でもそれはきっと「やり込み」が足りていないだけなのである。ドラムの打ち込みもめんどくさいし、ちょっとした工夫とかも途中でやめてしまう。アレンジに関しては時間もかけなければいけないなとは思っている。
でもギターとかベースとかはいじっていて楽しいから、リフとかベースラインとかを考えるのは楽しい(下手だけど
そして、最近はまっているのがオーバーダビングである。これはいわゆる重ね録りで、おんなじ声を重ねるやつだ。これをするとローファイな感じで歌もまぁまぁ聴ける感じになる。
音楽に完全に無知なので1つ選択肢が増えただけで楽しくなるイノシシである。
時々立ち止まりたくなるのに、周りの環境は仮装大賞みたいにクルクル変わっていくのがすごい恐怖だけど、その恐怖ともうまく付き合っていきたいっていう気持ちと、誰かそれよりもっと上(何が?)の段階で闘っていることに対する羨ましさと同情にへんな違和感を持っていたりするんだなぁ
っていう曲です!
文字にしてわかったけど殆ど意識してないです。思い返すと色々あったんだなって感じです。
未熟者がぬかしおるって言われることは承知ですが、これが自分の感性です。演奏面とか表現方法とかは本当にクリボーですが、いい感じになるためにあれやこれや考えてます。あと、こんな感じのが色々たまってきたので吐き出そうと思っています。
ハッピーバースデー
そこかしこにハッピーバースデー、あそこにもここにもハッピーバースデー、ハッピーバースデー?それだけじゃない、誰かの大切な日だって、ど平日だって、クライマックスだって、永遠だって、そこかしこに転がってんだ。
ドアに指を挟んでできた血豆が気になる。それでもただただ書く。
たまに思う時があるのは、自分以外の人たちは実際には存在してなくて、脳のすごいところが見せているだけなんじゃないかって、そこからじゃあなんで生きてるのかってなる。
知らん顔して寝てたいのにね、あぁそこかしこに音が散らばるな、波形が乱れるな
時が経つのが早いのは
気がつくともう約束の日だ、でも前よりも緊張せず、焦ることもなくこなすことができた。先週から続くかんかん照りの中、シャッフルで流れたビートルズのヒアカムズザサンを聴きながら駐車場まで歩く。履き慣れた靴、これは生まれてから何足目の靴だろう。汚くなったからそろそろ新しいのを買いたいけど、デザインも好きだし履きやすかったしまたこれと同じものもいいかもなぁ。反対側を歩く女の子は知り合いだったかもしれない。そんなことを考えながら駐車場に到着して、車に乗り込む。車に乗り込む頃にはシャッフルして4曲目の清竜人のMr.PLAY BOY♡が流れ出し、可愛い女の子に助平と罵られた。
物事はベルトコンベアのように流れていく。なるほど先人たちが人生を流れ作業だと称えているのも納得だ、歳を重ねると色々なことを経験して、溢れる欲望に身を任せて、いろんなことをやりたくなって、達成して、大体距離感掴めてきて、宇宙の果てを見てもないのに知った気になって、大体諦めがつく。
時が経つのが早いのは、知識が頭を埋め尽くして想像する余地がなくなったからだろう。
飽きてしまったのだろうか?いや違う。むしろ求めている。
備え付けの欲望は無理矢理にでも人間を動かそうとする。でも、経験はすぐ結論を導き出したがるから新しい発見と欲望のバランスが崩れてくる。
それでも生きていかなければならない。あれはもう見た、これももう見た、とおもちゃ箱をひっくり返すように1日を投げ捨てていく。これがだんだんスピードを増してきているから時が経つのが早く感じるのかもしれない。
多分活動量が多い人間ほど1日は早く感じている。そういう人ほど実際は満たされていない。